建物のひび割れや色褪せまで復興

2012.01.07

一九四五年の一月、ポーランドはナチスの圧政から脱する。すると、ワルシャワ市民は失われた町並みを寸分違わず復元する事業に取り組んだ。瓦礫を片づけた跡地には、新しい建物を建てたほうが簡単で費用もかからない。しかし、市民たちの情熱と根気は大変なものであった。建物の設計図はほとんどすべて焼失していたため、写真や絵はがき、学生のスケッチまで、あらゆるものが資料として集められた。王宮や教会、貴族の館などの由緒ある建築物の復元資料となったのは、イタリアの画家ベルナルド・ベロッチが一八世紀のワルシャワを描いた、二三枚もの巨大な油絵だった。

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かつての建物を知っている大工や石工が呼び集められた。「ここには螺旋階段があった」「こんな門が建っていた」という市民の記憶も手がかりとなった。復元の対象となったのは、建物の外観だけではない。内装や広場の石畳まで元通りにするため、特別の技術者が養成された。その技術は後に国外でも高く評価された。瓦礫の山のなかから、再び使える資材が運び出された。建物のレンガの大きさや色合い、はては壁に入っていたひび割れまで、元通りにされた。新品の瓦の色は、わざと色褪せさせた。これほど細かいところまで念を入れ、何もかも元通りにしようとしたのである。また、公共の建物ばかりか、民家や商店の看板まで、忠実に復元された。戦後の時期であり、人々の生活は豊かではなかった。自分たちの住居も急ごしらえの粗末なものだった。そんななかでも作業は続けられ、市民が総出で仕事の合間を縫って、手押し車で資材を運んだ。